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マグロ大学の歴史

こんにちは、poLoです
今回の記事は少しカタい文体となってしまいましたが、最後までお読みいただけると幸いです。




近畿大学について何を知っていますか?と道端の人に問うと、あぁ、マグロの大学ね、と答えられる事だろう



近畿大学は今やグローバルな大学となった



理系の大学生の間でなら、他の先進諸国でもそこそこの知名度となってきている上、海洋生物に関する世界的な会議にも、近畿大学の研究者は度々招かれている





近畿大学が何故こんなに有名になったのか、今回はそのルーツを探っていこう






遡ること今から約70年、1948年の出来事である



当時戦争の影響で食糧難に陥っていた日本を、海産物の観点から救おうとしたのが世耕弘一という当時の衆議院議員である




世耕先生は田んぼや果樹園と同じように、海を畑と捉え、そこで魚を育てて収穫する、という全く新しいアイデアを思いつき、近畿大学水産研究所の前身を設立する


研究所設立から17年後、遂にヒラメを卵から孵し、成魚まで育てることに世界で初めて成功する



このヒラメを皮切りに、次々と他の魚の養殖も成功させてゆき、近畿大学は養殖のパイオニアとしての地位を確立してゆくのである




そして1970年、近畿大学は遂にクロマグロの養殖に手を出すのだ
だが、養殖のノウハウを20年以上学んできた近畿大学でもクロマグロの壁は高かった



というのも、メジと呼ばれるクロマグロの幼魚は、とてもか弱い魚だったのである


少し前にマンボウを育てるゲームが流行ったが、マンボウもすぐに死ぬということで有名だが、メジもそれに肩を並べる



生簀に移動するために水から少し出したり、手で触れたりするとすぐ死んでしまうのだ


車のライトが海面に当たっただけでもパニックで死んでしまうほどで、本当にマンボウ並みに弱い魚である




このような難題をクリアし、初めて産卵まで漕ぎ着けられたのは、プロジェクト開始からなんと9年がかかる

しかし、それすらも47日で全滅してしまった



更に悪いことに、1983年から11年間は産卵すらさせることができなかったが、この頃に研究費を助けたのがクロマグロの先輩達である、近代卒のヒラメやブリ、カンパチなどであった
これらの売上が、そのまま研究費にあてられたのである




しかし1994年、久しぶりに生まれた卵を孵し、約1900匹の稚魚を孵すが、これも8ヶ月で全滅してしまう


ほとんどが衝突の衝撃による背骨の骨折だった

これに対応するために、更に生簀を改良し、ついにその時を迎える



2002年、なんとプロジェクト開始から32年もの歳月をかけ、遂に世界で初めてクロマグロの完全養殖が成功する



32年である。我々が生まれるずっと前から続いていたプロジェクトが、ついに完結したのである




今日では、我々一般人が近大マグロに出会う場所もでき始めている。



例えば、グランフロントにも近大卒のお魚たちをまとめて食べられるお店もできた



この記事を読んだそこのあなた、次のデートでランチに迷ったのなら、ここに足を運んでみるのもいいだろう